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最高裁判所大法廷 昭和29年(オ)522号 判決

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人弁護士坂井宗十郎の上告理由第一点について。

原判決が、論旨摘示のように、本件契約解除の無効であることについての当審の判断は、この点に関する第一審判決理由と同じであるからここにこれを引用するといつていることは、所論のとおりである。しかし、原判決の引用する第一審判決理由は、所論のように、単に被上告人の違反行為のために上告人に損害が発生しない限り契約解除ができないという法理論のみによつたものでないことは、その判示に照し明白である。されば、所論は、結局原判決の判示に副わない事項を前提とする法令違背の主張に帰し、原判決に対する適法な上告理由と認め難い。

同第二点について。

債権者が予め弁済の受領を拒んだときは、債務者をして現実の提供をなさしめることは無益に帰する場合があるから、これを緩和して民法四九三条但書において、債務者は、いわゆる言語上の提供、すなわち弁済の準備をなしその旨を通知してその受領を催告するを以て足りると規定したのである。そして、債権者において予め受領拒絶の意思を表示した場合においても、その後意思を翻して弁済を受領するに至る可能性があるから、債権者にかかる機会を与えるために債務者をして言語上の提供をなさしめることを要するものとしているのである。しかし、債務者が言語上の提供をしても、債権者が契約そのものの存在を否定する等弁済を受領しない意思が明確と認められる場合においては、債務者が形式的に弁済の準備をし且つその旨を通知することを必要とするがごときは全く無意義であつて、法はかかる無意義を要求しているものと解することはできない。それ故、かかる場合には、債務者は言語上の提供をしないからといつて、債務不履行の責に任ずるものということはできない。

そして、本件第一審では、上告人(原告、控訴人)は、被上告人(被告、被控訴人)が上告人に損害を及ぼす工事を上告人に無断でしたとの契約条項違反だけを理由として本件賃貸借の解除をしたと主張し、これを前提として本件貸室の明渡並びに賃料に相当する損害金の支払を訴求し、昭和二七年五月一七日その弁論を終結したが、同年六月一九日敗訴の判決を受くるやその敗訴判決の後である同年同月二七日附を以て特約に基づき催告をしないで同年五、六、七月分の賃料(前月二五日払の約束)不払を原因として本件賃貸借解除の意思表示をしたという予備的請求を原審口頭弁論期日において初めて主張したものであることは、本件記録上明らかなところである。以上の訴訟経過に照らし、上告人は、前記三ケ月分の賃料を損害金としてならば格別賃料としては予めこれが受領を拒絶しているものと認められるばかりでなく、第一審以来賃貸借契約の解除を主張し賃貸借契約そのものの存在を否定して弁済を受領しない意思が明確と認められるから、たとえ被上告人が賃料の弁済につき言語上の提供をしなくても、履行遅滞の責に任ずるものとすることができない。それ故、この点に関する原判決の説示は不充分であるが、本件解除の意思表示を無効としたのは結局正当であつて、論旨はその理由がない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従つて主文のとおり判決する。

この判決は、論旨第二点に対する裁判官小谷勝重、同藤田八郎、同池田克、同河村大助、同下飯坂潤夫の各少数意見があるほか全裁判官一致の意見によるものである。

論旨第二点に対する裁判官小谷勝重、同池田克の少数意見は次のとおりである。

多数意見は「債務者が言語上の提供をしても、債権者が契約そのものの存在を否定する等弁済を受領しない意思が明確と認められる場合においては、債務者が形式的に弁済の準備をし且つその旨を通知することを必要とするがごときは全く無意義であつて、法はかかる無意義を要求しているものとは解することはできない。」というのである。そうすると債権者が予め受領を拒絶する場合、拒絶の意思が明確である場合と明確でない場合の二つの場合があるということになり、そして明確な場合は債務者は言語上の提供(民法四九三条但書)をも要しないが、明確でない場合は言語上の提供を要するという趣旨と解せられる。

しかし、右の明確でない場合はむしろ予め受領を拒んでおる場合には当らないのではないかと考えるのであつて、債務者はこの場合原則に従い現実な提供(民法四九三条本文)を為すことを要するものといわなければならない。そうだとすると、言語上の提供なるものはついにその適用のある場合はなくなるのであつて、民法四九三条但書の規定は全く空文に帰せざるを得ないこととなるように思われるが、多数意見は果してこれを肯定するの意であろうか。

或は多数意見は債権者が予め受領を拒んでおる場合、その拒む意思の強度な場合と、強度でない場合との二つの場合に区別し、前者の場合は債務者は言語上の提供を要しないが、後者の場合は言語上の提供を要するとの意であるというのであれば、言語上の提供を認めた法意である、債権者をして受領の翻意を促しもつて債権債務の正常な発展終結を期待するという法の精神とは全く背馳するものといわなければならない。何となれば債権者の受領拒絶の意思は過去または現在の状態であるが、受領の翻意は未来の問題であるから、如何に過去または現在において受領を拒んでも、またそれが強度に明確であつても、言語上の提供を劃しての未来の翻意までもこれを絶無であるとし、もつて「……全く無意義であつて」と断定してかかることは、そもそも言語上の提供なる民法四九三条但書の規定の精神を頭から無視してかかつた独断的な見解といわざるを得ない。

言語上の提供は弁済提供の一種であるから(民法四九二条、四九三条)、債務者よりの言語上の提供を受けながら、これを受領しない債権者は却つて債権者としての遅滞の責に任じ(民法四一三条)、債務者よりの損害賠償等の責に任じなければならないのである(双務契約の場合は契約解除の原因ともなる)。多数意見は、いわゆる債権者が弁済を受領しない意思が明確な場合は債務者は言語上の提供を要せず、債務者はただ沈黙しておれば弁済提供の効果を生じ、したがつて不履行に因る一切の責を免れ、却つて債権者は遅滞の責を負わなければならない各効果を招来するという結論を是認せざるを得ないものといわなければならない。しかし果して債務者の無為沈黙からかかる結論が是認せられるであろうか。

言語上の提供は既述の如く弁済の提供の一種であり、これにより債務者に不履行に因る一切の責任を免れしめる効果を有するものであるから、双務契約における同時履行の抗弁の如く単なる公平の観念だけから解釈できる問題ではなく、すなわち債務の存在とその弁済義務を確認する債務者は、債権者の態度如何にかかわらず自己の債務の弁済の提供は、弁済期に至らばその履行可能な状態に置くことは、まさに債務者としての義務の履行に関する信義誠実の原則(民法一条二項後段)に合致するところであり、またこれによつて不履行に因る一切の責任を免れる効果に対応する衡平の観念にも合致するものである。ただ弁済の受領を拒む債権者に対し、なお且つ債務者は現実な提供を為すことを要するものとすることは、債務者に無益且つ過当な行為を要求するものであるから、債務者は弁済の準備を為したることの通知及び受領の催告を為すをもつて足ると定めたことは、至極尤もなことであり、不履行の責を免れんとする債務者としてはその為すべき必要十分な行為であつて、たとえ債権者に受領拒絶の意思が明確であつても、右債務者の言語上の提供を全然不要とする何等の法律上及び条理上の根拠はないのである。

もしそれ本件事案の如く、上告人は第一審において賃借人たる被上告人に対し、無断工事の施工等賃貸借契約の義務違反を理由として契約を解除し、これによつて明渡を求めたが敗訴し、第二審に至り、その直前まで三十四ケ月分にわたり順次賃料を供託し且つその通知をして来た賃借人たる被上告人に対し、その直後における三ケ月分の賃料不払(すなわちその分は供託を欠く)を理由とし、特約に基き催告を要しない契約解除の理由を付加した場合の如きは、賃借人たる被上告人には既に賃料弁済の言語上の提供あり、したがつて賃貸人たる上告人の解除はこれによつて無効とするか、または解除権の濫用(民法一条二項前段、同条三項)であるとの認定判断によつて上告人敗訴の判決をなすは格別、賃借人たる被上告人の賃料支払義務につき、この場合債権者たる上告人には受領拒絶の意思明確である場合であるとし、もつて賃借人たる被上告人には言語上の提供すら不要とし、したがつて賃貸人たる上告人の解除は無効であると判断した原判決は、民法四九三条但書の解釈を誤つた違法があり破棄を免れないものといわなければならない。そして原判決は、昭和二三年(オ)第四四号同年一二月一四日言渡の第三小法廷の判決の趣旨に則つたものと解せられるのであるが、すなわち右小法廷判決は訂正されるべきものとする。

論旨第二点に対する裁判官河村大助の少数意見は次のとおりである。

民法四九二条及び四九三条によれば、債務者が債務不履行に因つて生ずべき責任を免れるためには、原則として、債務の本旨に従つて、現実に弁済の提供をなすことを要するのであるが、同法四九三条但書はその例外を認め「債権者が予め弁済の受領を拒」んだときは、債務者は現実の提供を要せず、弁済の準備をしたことを債権者に通知して、その受領を催告するを以て足りる(言語上の提供)と定められたのである。けだし、債権者が予め受領を拒んでいるのに、なお債務者だけに現実の提供を要求することは、信義の原則に反するからである。即ち受領拒絶の債権者に現実に提供をすることは、無意義であるが、この場合にも法は、債務者の提供を全然免除することなく、その義務を軽減して、言語上の提供を課することとしたのである。そしてこれによつて、債権者の翻意を促し、以て債権関係の順調な発展を期待する法意に出たものであるということができる。

ところで多数意見は「債務者が言語上の提供をしても、債権者が契約そのものの存在を否定する等弁済を受領しない意思が明確と認められる場合においては、債務者が形式的に弁済の準備をし且つその旨を通知することを必要とするがごときは、全く無意義であつて、法はかかる無意義を要求しているものと解することはできない」と解し、本件の場合はこれに当るものとして、たとえ被上告人が賃料の弁済につき、言語上の提供をしなくとも、履行遅滞の責に任ずるものではないと説示している。しかし前記法条に所謂「債権者が予め其の受領を拒」んだ場合を、弁済を受領しない意思が明確な場合とそうでない場合に区別して、前者の場合を同条但書末段の適用からはずそうとすることは、理論上並びに実際上不当であつて、前記法条の明文にも反するものである。けだし拒絶意思が明確とか、不明確とかいうことは、現に拒絶意思があるか、ないかということを表現する意味をもつにとどまり、債務者の弁済準備の通知及び受領の催告によつて、将来債権者が意を翻して、弁済を受領するに至る可能性があるかないかということと関係がないことだからである。のみならず、債権者の受領拒絶の意思が明確な場合は常に債務者の言語上の提供を要せずとすれば、実際上前記法条但書の適用を見る場合は、殆んどないことになろう。受領拒絶意思が明確な場合に、債務者の言語上の提供を不要とする見解は、その拒絶意思が不明確な場合に、言語上の提供を要するということになるであろうが、その不明確な場合は、むしろ、債権者が「受領を拒」むときに当らないものとして、原則にたちかえり、債務者は現実の提供をなすべきであると解するを正当と考える。

或は多数意見の真意は、受領拒絶の意思の明確な場合とは、受領拒絶の意思が強固な場合と同意義に見たのかもしれないが、その強固の場合においても、債務者に言語上の提供をさせることが無意義だとして、これを要しないと解すべきではない。なぜならば、四九三条但書において、債務者の履行義務を軽減した前記の法意に鑑みるときは、債権者の受領拒絶の蓋然性が極めて高度に達したときは、履行の準備もまた、軽微のものでよいということができようが、他面右法条は、債権者の翻意に基く債権関係の順調な発展の期待という趣旨を包含するものであるし、又実際上債権者の受領拒絶の意思が強固であると云つても、法の期待する翻意の実現が将来絶対に起り得ないということを、事前に確知することはできないから、債務者に弁済の準備をしたことを通知させ、かつ受領を催告させることが無意義だと解すべきではない。

以上の理由によつて、原審が「上告人は賃料としては、予め受領を拒絶しているものと認められるから、被上告人に履行遅滞の責任なく、従つて上告人の契約解除の意思表示は無効である」との趣旨の判示をしたのは、前記四九三条但書の解釈を誤つたものというべく、ただ本件は、上告人において、当初契約違反を理由として、契約解除を主張し、明渡請求の訴訟中において、最近の賃料三ケ月分の不払を原因として、催告不要の特約に乗じ賃貸借契約の解除を行つたことが、信義の原則に反し、解除権の濫用になるかを、問題とするは格別、被上告人に言語上の提供すら要せず、履行遅滞の責任がないことを前提として、上告人の契約解除の意思表示を無効としたのは違法であるから、この点に関する限り原判決は破毀すべきものと思料する。

論旨第二点に対する裁判官藤田八郎の少数意見は次のとおりである。

債務の履行も、債権者債務者双方が信義の原則に従つて、互に協力してしなければならないことはいうまでもないところである。民法四九三条が「弁済ノ提供ハ債務ノ本旨ニ従ヒテ現実ニ之ヲ為スコトヲ要ス」と規定しながら、「但債権者カ予メ其受領ヲ拒ミ」タ「ルトキハ弁済ノ準備ヲ為シタルコトヲ通知シテ其受領ヲ催告スルヲ以テ足ル」(言語上の提供)としたのは、債権者の側において、誠実な協力をしない場合においても、債務者に対し、なお、現実の提供を要求することは債務者に酷であるから、この場合は債務者は、いわゆる言語上の提供をもつて足るものとしたわけであるが、民法はこの場合でも、債務者に手を拱いていることを許したのではなく、債権者が前言を翻して受領すると云えば、遅滞なく履行を全うし得るだけに準備を整えて、その旨を通知して、受領を催告することを要するものとしているのである。すなわち債権者が必要な協力をしない場合でも、債務者は債務者として、事態に即応するだけの協力はしなければならないとするのが民法の趣意であつて、債権者が不協力の態度に出た以上、債務者は弁済の供託、現実の提供はもとより、弁済の準備すらしないで、手を拱いて履行期を徒過しても、不履行の責を免れるとすることは民法のとるところでない。けだし、かかる結果をみとめることは、債務者の側における不信義を容認することとなるからである。現実の提供というも言語上の提供というも、ひつきよう、債務者が債務の履行をするについて、その債務者側において、為すべき弁済準備の程度にかかる問題である。従つて、債権者において不信義の態度の強い場合、債務者側においてもその弁済の準備は、軽微のものであつてよいということはいえる。いかなる程度の準備を必要とするかは具体的の案件における事情に即して具体的に決すべき問題であるけれども、多数意見のように本件のごとき場合に、いわゆる「言語上の提供」を一切必要としない、弁済の準備すら必要としないと解することは明らかに民法の明文(四九三条)に反し、かつ債権法の基本則たる信義の法則に反するものと云わなければならない。以上の外、自分は河村大助裁判官の意見に同調する。

論旨第二点に対する裁判官下飯坂潤夫の少数意見は次のとおりである。

(一)、債務者が債務の本旨に従つた債務の提供をしても、債権者がその受領を拒絶したときは、債務者は履行遅滞の責を免れる、(二)、右受領の拒絶が事前に為された場合は、債務者が履行の提供をしても無駄ではあるが、さらばといつて、債権者は意を翻してその提供を受領するかも知れないから、債務者はいわゆる言語上の提供だけはしなければならないというのが民法四九三条但書の法意である、(三)、しからば、債務者が現実の提供はもとより、言語上の提供をしても、債権者が弁済を受領しないことが明らかであるときはどうであるかというに、この場合は、どんな提供も結局は無駄に帰するのであるから、債務者は言語上の提供すらしないでも履行遅滞の責任を問われないというのが昭和一〇年八月五日の大審院判例及び昭和二三年一二月一四日の最高裁判所判例の趣意である。

多数意見は、本件は右(三)の場合に該当するものだという、しかし、原判決は果してその場合であると認められるような判示をしているであろうか、原判決を虚心に読めば、原判決は単に、「賃料としては予め受領を拒絶しているものと認められる」、と判示しているだけであつて、それ以上何らの説明をも、附け加えてはいない、わたくしの判断を以つてすれば、原判決は受領拒絶の態様として前示(二)の場合を判示しているに過ぎないものとしか考えられないのである。

多数意見は、本件訴訟の経過を説明した上、「以上の訴訟の経過に照し、上告人は前記三ケ月分の賃料をば損害金としてならば格別、賃料としては、予めこれが受領を拒絶しているものと認められるばかりでなく、第一審以来賃貸借契約の解除を主張し、賃貸借契約そのものの存在を否定して、弁済を受領しない意思明確と認められるから」、云々といつて、原判示を補足説明しようとしている、しかし乍ら、前記弁済を受領しない意思明確というようなことが、具体的事実をせんさくすることもなく、理屈一辺で、しかく安易に肯定できるであろうか、その点は別論として、多数意見の右説明は当審では許されない新な事実を認定したことにならないであろうか、わたくしは、その疑い濃厚であると思う。思うに上告人は、その主張する契約解除の理由が第一審で肯認されず、敗訴するや、第二審に至つて、右敗訴後における被上告人の賃料不払を理由として、特約に基づく解除権を突如として行使し、契約解除の主張をしたことは確かにフエヤーではない。この観点からすれば、誠実信義の原則、ないしは禁反言の条理に照し、右契約解除の有効無効を論ずる余地は十分にあるであろう。原審としては、その観点からも問題を取上ぐべきではなかつたか。また、被上告人は従来賃料を弁済供託して来たと主張するが、前記三ケ月の賃料について何が故に供託をしなかつたか。更にまたその供託はしなくとも、弁済提供の準備があつたかどうか、その準備もないのに、上告人に受領遅滞の責ありと主張することが、誠実信義の原則に反しないかどうか、原審としてはそれらの点についても、思を致すべきではなかつたか。

これを要するに、原判決は受領拒絶について十分に審理を尽さず、延いて法律を不当に適用した不法あるを免れないものと考える。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋潔)

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